人気ブログランキング |

ちょっとピンボケ・・・Snap is my life!! 

pinboke.exblog.jp
ブログトップ
2011年 12月 11日

4Day in Pilipinas  36

b0006316_1019516.jpg


2011.2.22.

Canon EOS 1v

ケソン・パヤタスダンプサイ

カメラ病の話 8

 記憶が確かではないが、僕はF氏からまたLeica M4を借りたと思う。その月にエルマリートとエルマーの画像が残っていた。場所は博多駅前でスナップしていた。
 この頃にコンパクトカメラ病が発症している。35mmレンズのコンパクトカメラでノ―ファインダーを撮り始めた。ノ―ファインダーも練習すれば的中率が上がる。なかなか楽しめた。とにかく写真を撮るのが楽しかった時代、被写体は何でも良い。とにかく街中スナップが大好きな時代だった。いつもカメラを片手に街中を撮り歩いた。コンパクトカメラが増殖し始めた。カメラは買って撮影して気に入らなければ売り、また買う事を繰り返した。オークションでの売り買いは続く、送付先は会社にした。これなら家族に知られない。
もう誰にも止めようがない。会社のデスク回りはカメラで一杯になった。それでも幸せだったから仕方がない。この頃にロシアカメラに手を出した。Fed-2が最初のロシアカメラだった。マウントはL39 でズマール50mmが装着できる。
Fed-2とズマール50mmで撮影していることをF氏に報告した。F氏は、「ロシアカメラにLetzのレンズは危険です。FedはL39では無くてFedマウントなのです。レンズが外れなくなる可能性があります。逆のパターンも同じです。止めた方が良いです。」と言う。
僕は戻ってから慎重にレンズを外した。カメラと一緒に着いてきたジュピター50mm f3.5を付けた。Fed-2とジュピター50mmのコンビはしばらく使った。他のカメラは増殖して、気が付いて使わないと思うカメラをオークションで売る。そして数が減るとまた買うのを繰り返した。ミノルタのロッコールの優しい描写に惹かれた。会社ではF課長がついにNikon D70を買いデジタル化して行く。
僕はと言うと自分のライカが欲しくなった。かなり我慢したけれど諦めた。もう買うしかない。M型ライカと言えばM3と思っていた。僕はF氏に相談した。F氏は、「teruさんの持っているレンズと今後を考えたらM4が良いと思います。」と言った。M3はファインダーが50mm、90mm、135mmの対応だ。M4は35mm、50mm、90mmだった。F氏は、「teruさんは、いずれ35mmのレンズを買うでしょうからM4です。」と言った。さらに「今、お使いのM4をお譲りしましょう。」と言った。
F氏から借りているM4は傷などもなく超美品だ。オーバーホールも済ませてあるので快調な状態だった。僕は恐る恐る値段を尋ねた。F氏の提示した値段は格安だった。とは言えライカである。確かにクラシックカメラ店のH氏のところから買うよりはかなり安い。比較すると信じられない値段だった。M4は「僕のライカ」になった。
それからM4でバシバシ写真を撮ったかと言うとそんなことも無い。M4が僕のものになった後に買った立派な防湿庫にハッセルと共に大事にしまわれた。貧乏人の悪い傾向だった。
 しばらくしてクラシックカメラ店のH氏のところに良く通うようになる。現像やプリントのことを相談し始めた。H氏はD-76とコダックフィルムとの現像データーをくれた。普通のお客ではもらえないデーターだった。D-76現像液で1:1の希釈現像が始まった。
ネガを見てもらい僕のネガは濃いとの指摘を受けた。H氏のネガは途方もなく薄かった。これで焼けると言う。そこまで薄いと露光時間が長くなりコントロールできるらしい。僕も薄めのネガを目指すがまだまだ濃い。
もらった現像データーはH氏がテストした基本のデーターなのだ。自分のネガを作るのなら撮影条件も考慮して、基本のデーターからプラスやマイナスをしなければならない。希釈も1:1とは限らない、0.8:1.2とかも考えられる。とにかく経験と勘の世界がフィルム現像だろう。だけどフィルム現像に失敗したら終わりなのだ。撮影場所までの移動時間も撮影時間も全てが無駄になる。僕は未だに薄いネガには至っていない。


メンズファッション~男屋~モテ男

靴 シューズショップ ABC  スニーカー ブーツ

by teru2396 | 2011-12-11 10:24 | 旅行記


<< 4Day in Pilipin...      4Day in Pilipin... >>